「愛とは想像力」by桜井和寿の意味をやっと理解出来たよってはなし
昔のCMがエモい。
どうもフジタです。
さて、わたし先日職場で研修を受けてきまして。その中でやった価値観ゲームとやらに感化されたのでお話ししたいと思います。
どんなゲームかっていうと、気球に乗って新しい国に行くとしたら、7つのお題のうち3つしか持っていけないとしたら何を選びますか?というもの。
よくある無人島に何持っていく?的なもの。
まず自分の順位を考えた後に、グループの中での順位を相談して決めるという内容でした。
決める時は当然多数決は禁止です。
やってみて、自分の選択は完璧!
と思ってもいざ他の人の話しを聞くと
「それはないでしょ」
の連続で凄く驚いたりして、改めて人間考える事は違うんだなあとしみじみ。
例を挙げると
・毎日、十分な水と食料が手に入る権利
があったら、まずはこれを選ぶ人も多いはず。実際私のチームも5人中4人がこれを1番に選んでいました。
でもその1人から
「私は少食だから「十分」な程は必要ない」
的な意見が出たりして、他の人も確かにその意味なら1番でなくてもいい。となって最終的に3番目になりました。
その時に思ったのです。
日本語を第1言語として成長してきた私たち日本人であっても、日本語の文章の捉え方は人によって異なるのだと。
私達が、言葉を理解出来るのはその単語にある程度同じ共通のイメージが出来ているからだと。
それで、タイトルにあったミスチル桜井さんの言っていた意味がわかった気がしたのです。
コミュニケーションとはイメージの擦り合わせ作業なのかもしれない。
相手のイメージが分かればきっと対立も減るよね。
その相手のイメージを知ろうとして、時に合わせる懐を広く持っていたいですなあ。
そんな感じ