独り言「こけしの目」

日々の思った事を綴っていきます。

先祖を巡って出会ったタクシー運転手さんの話

蝉の大合唱〜
癒されますなあ〜〜〜〜
(蝉の命って1週間じゃないらしいね〜〜〜)

 

 

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清和神社

 

命短し どうもフジタです。

 

 

 

 

 

 

先日、母が京都に来ていました。

車で来ていたので、鬼の博物館に行きたいと話していたのですが、少し遠いということで前から行きたいと思っていた清和源氏の神社に行こうということになりました。

 

場所は京都方なら知ってるかもですが、愛宕山のあたりといいますか、最寄り駅は保津峡でして、駅からもそれはそれは山道を登っていくような不便な場所です。

 

私たちは嵯峨から進みました。

明治くらいからできていたと言われるお茶屋で美味しいおまんじゅうをいただきました。

洛外の京都らしい歴史保存地区でもあります。

 

もし、今度京都通の方を案内するとしたら連れて行ってあげたいくらい落ち着く歴史感じる場所でした。

 

 

 

それはさておき、道を進むも険しそうな細い山道。。。
とはいえ、車やバイクが山からおりて、こちらに向かってきます。

 

私たちは手をあげて、

 

「この先の道は細いですか?」
と尋ねると、

 

「広い所もありますよ」と話すワゴン運転者もいれば

「かなり細いよ」と地元のタクシー運転手



私とお母さんは京都の旧国道で命を削りそうになった苦い思い出があり、母は自分で運転したくないと言いました。

グーグルマップでは、車で20分とあります。ここまできたし、歩こうかとも言いましたが、母はサンダル、しかも山道です。

またの機会に帰ろうかと思ったそのとき。

 

偶然さっきのお茶屋にお客を運んだタクシーが帰ろうとしていたので、お願いして乗せてもらいました。

タクシーと行っても7人乗りのワゴンみたいな大きさでしたが、プロだから安心と乗り込みました。



ただでさえ細い山道。運転手さんは容赦なくスピードを出すので自然と体が硬くなっていました。どんどん山をこえて人気もありませんが
車を走らせ20数分。水尾につきました。

結構な数の家が建っていて驚きました。
こんな不便な場所に人が住んでいるんだなあと。


運転手さんには待ってもらって、急いで神社を目指しました。


清和源氏は出家して水尾に籠り、余生を過ごしたとのことです。
こんな不便な場所、京都の人でも行ったことある人は少ないのではと思います。
私ももう2度と行くことはないかもしれないと思いました。

母と「なんだか、先祖に呼ばれた気分だね」と話ました。


滞在時間にしておよそ15分また20分かけてきた道を戻ります。




帰りのタクシーの中でなぜ、こんな所に行きたかったのかと母に聞かれて

以前、私のおじいちゃんの苗字が「二階堂」だった話をしましたが、清和天皇は源氏の祖でありまして、たまたま調べて知っていたことを話しました。

おじいちゃんは苦労した人のようで、今まであまり自分の過去について多くを語っていなかったようです。父もよく知らないそうでした。

 

母の話では実は子供の頃、満州に駆り出されていたようでした。


すると、タクシーの運転手さんが急に話しかけて

「実は自分は満州の残留孤児だ」と言いました。

お父さんが満州にいて働いていて、そのまま日本に帰らず残っていたそうなのです。
何十年か前に、日本が気になって働きにきたと教えてくれました。

そこから話に花が咲き、中国共産党の話とかして気づけば到着していました。

 

(他にも色々言っていたのですが、日本語がカタコトでうまく聞き取れませんでした。。。)


 

正直、満州鉄道のことを私はよく知りません。というか、歴史の勉強でもそんなに教えてくれなかった印象があります。

 

 

これを機に色々勉強してみたいと思った次第です。
おじいちゃんともっと話しておきたかったなあ〜〜〜

ただ、このタクシーの運転手さんとの出会いがとても神がかってる気がして、記録に残した次第です。

 

 

 

これからも、時間を見つけてご先祖巡りをしていきたいと思います。

 

 

そんな感じ