独り言「こけしの目」

日々の思った事を綴っていきます。

ドロさまが愛した村に行ってきた

♪「ああ 長崎は今日も雨だった〜」

 

 

いえ、それはそれは綺麗な青い海と入道雲でした。

どうも、フジタです。

 

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先日行ってきました!長崎に!

雲仙や佐世保は少し前に行ったんだけど、久々に市内に行きまして。

 

懐かしい中華街や眼鏡橋や商店街やその他諸々、やっぱいいよ!長崎!

 

 

そんな私が今回の旅で特に印象に残ったのが、「外海」

 

まず道の駅で海の綺麗さにやられ、遠藤周作記念館から見える景色にまたやられ。

黒崎教会に、出津教会。

潜伏キリシタンの組織が唯一残ってる2つの教会に行ってきました。

(どちらも2018年に世界文化遺産に登録されてうます。)

 

特に出津の集落については、ガイドさんをつけてお話しを聞いたこともあり、とても印象に残ったのでシェアします。

 

そもそも、潜伏キリシタン隠れキリシタンの違いをみなさん説明できますか?

潜伏キリシタン」とは、鎖国政策が行われていた江戸時代の約250年の間、禁教令が出されていた時にもキリスト教を密かに信仰し続けた人達のこと。

 

隠れキリシタン」とは明治時代になって禁教令が解かれたにも関わらず、カトリックにもならず信仰隠し続けた人々のことです。

 

(250年もキリスト教を信仰し続けるには、神道や仏教も同時に進行していた背景もあるようです)

 

この出津の集落が当時進行を続けられたのは、この辺りが取り締まりの厳しい大村藩ではなく佐賀藩の領地だった事もあるそうです。

また領土を追われ、五島列島にも沢山の潜伏キリシタン達が流れていったようです。

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当時、出津の集落は大変貧しい土地でした。実際車で行きましたがとても山奥の険しい坂道の場所でした。そんな村に手を差し伸べたのがドロ神父です。

彼はフランス出身のナポレオン血筋の貴族で私財を投じて教会を建てたり、救助院(主に身寄りのない女性の働く場)をつくったりと、村のために生涯フランスに帰ることなく出津に骨を埋めた方です。

 

実際にドロ神父の建てた教会や資料室となった自宅、救助院の中に入る事ができました。

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自宅に展示された資料をみていて、ドロ神父が出津の村の人々に(日本文化に)溶け込もうとする様子がとても伝わってきました。

 

実際に、出津の村では幼稚園児の時から「ドロさま」と教わり、今もなお村人から敬愛されているとのことでした。

 

救助院を実際にシスターが案内してくださいました。2階は当時の女性が寝泊まりしながら裁縫していた場所との事で、ドロ神父はここを修道院にしたかったそうです。(神父は結婚できないため後継が欲しく)

 

そこには、ドロ神父の母が送った19世紀の柱時計が。(1ヶ月前にとうとう動かなくなってしまったそうな...)

 

また、世界に5台しかない当時の貴重なオルガンが置いてありました。

シスターが「私をドロ神父と思って聴いてください」と『いつくしみ深き』を弾いてくださりました。

 

優しいオルガンの音色に、自然と涙が溢れました。

ドロ神父が村人を愛し、皆に慕われ愛された様子が伝わってきたからです。

 

 

私の感動と感謝がシスターにも伝わると、今まで「ドロ神父」と呼んでいたシスターが「ドロさま」に変わった瞬間がとても印象深いです。

 

 

 

 

この村で信仰を守り続ける住人は宝であるとしみじみ思い、それを教えていただいた事にただただ感謝でした。

 

 

 

本当に素敵な村で今なお感動が冷めません。

 

 

 

また絶対に訪れたいと思います。

 

 

そんな感じ